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手形割引の歴史

手形が誕生したのは、ヨーロッパ文明の中心地、東西を結ぶ交通の要所であった12世紀のイタリアだといわれています。その後、遠隔地間取引に関する決済の主役として世界に広まっていきました。では、手形の「割引」にはどんな歴史があるのかを見ていきましょう。

ネガティブだった手形割引に対するヨーロッパでの評価

手形の割引は、支払期日前に割引料を差引いた金額を受取ることを指します。これは、実質的に資金調達(融資の一態様)であり、割引料は支払期日までの金利に相当する分、すなわち利子の性質を持つものです。
ところが、ヨーロッパで力を持っていた宗教(現代ではイスラム教(イスラム金融)等)では、利子の支払い・受取りを禁止していました。
このことから、手形そのものの発祥や普及の功労者となった中世ヨーロッパでは、実質的には融資であり、利子の支払いにちかいものが発生する「手形の割引」の導入にはネガティブだったようです。

手形発祥の地イタリアにおける手形割引

13世紀末期のイタリアで行なわれていた「割引」は現在の「割引」とは全く異なるもので、「支払期日前にお金を支払った債務者に対する債務金額の値引き」を意味していました。早く支払った方が得をするシステムにすることで、支払いを促すプロモーションだったようです。
そこには、資金調達・融資を目的とする現代の手形割引の意味はありませんでしたが、値引き率の計算に利子の計算の概念が含まれていました。そのため、利子の受渡しを否定する神学者の間では、これが合法か違法か大いに議論されたようです。
18世紀になると、手形を支払期日前に割引させることは商人にとって恥ずべきこととしながらも、資本を遊ばせない目的で、手形の割引取引が、金持ち・商人たちにとって好ましい投資先として広がったようです。
また、「債権者が資金を入手する目的で、手形金額よりも少ない金額で手形を売却する条件での為替手形取引」との表現があり、これはまさに、今日における「割引」と同様の取引があったことを示しています。

イギリスにおける手形割引

同じヨーロッパでもイギリスでの展開はこれよりも早いものであったようです。1640年~1675年のイギリスでは、チャールズI世が専制君主制を志向していたため、商人たちは一方的に資産が収奪されることを恐れていました。
そこで商人たちは、金地金の売買を行う「金匠(Goldsmith)」の金庫にこぞってお金を預けました。金匠はそれを当座預金として預かり、それに対する利子の支払いや貸出業務を行なうほか、手形の発行や手形割引を行なっていたことが文献に記されています。
その後、手形割引業務は、シティの銀行家によって一般に普及し、1694年に設立されたイングランド銀行の収益の大きな柱となりました。

1820年代以降には、ロンドンに手形割引商が出現し、当初は単に手形のブローカーであったものの10年も経つと自社の資金で手形を買入れるようになりました。オーバレンド・ガーニー商会などが有名です。
手形割引市場を主軸とする短期金融市場はロンドン市場を世界屈指の金融市場へと押し上げました。

大坂から始まった日本の手形

日本では、江戸時代から手形のニーズが高く、主に大坂(現・大阪)の両替商によって使われていました。そこから徐々に仕組みが変わっていき、現在の手形制度の礎になっているのは、1882年(明治15年)に、ヨーロッパから輸入する形で制定された、為替手形・約束手形条例です。
その条例の11条に規定される営業課目のなかに、政府発行の手形、為替手形その他商事手形等の「割引」が含められました。

大正時代になると、手形割引は一般に広く普及していきました。1923年(大正12年)9月に関東大震災が発生すると、震災前に銀行が割引いた手形のうち決済不能となった分を日本銀行が補填するとした「震災手形割引損失補償令」が公布されました。
この時、日本銀行が行った再割引は4億3,000万円以上であり、当時の国家予算が約15億円であったことを考えると、巨額であったといえます。
その後、1930年に成立したジュネーブ手形法統一条約に参加し、1932年、手形に関する規定を商法から切り離して「手形法」を施行し、これが現在の手形制度、手形の運用方法へとつながっています。

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